昨日の続きとなりますが、なぜ私が樹木葬に興味をもったかというと、最初は「里山再生」というkeywordに惹かれたからです。西寿寺は山の中腹に位置していますが、昔はその持山に里の人たちが薪を取りに入ったり、かつては松茸もよく取れましたので自然と山の清掃がなされていました。しかし、時とともに薪は不要となり、松茸も取れなくなり人が入ることがなくなり、私が一人年に数回ハイキングの人が勝手に捨てていったゴミを拾いに行く程度になると山が少しづつ荒れていくようになりました。それで桜の木を墓標とした「里山再生」という祥雲寺さんの樹木葬に惹かれていったのでした。しかし、京都ではそれは行政が許さない不可能な樹木葬だったのです。それで考え出したのが、お墓に庭園を造り、年間を通してどこかに花が咲く「庭園葬」というものを考えだしたのでした。人は皆、最後は土に還りそしてその木の花に生まれ変わる。一年に一度は「花」という姿でこの現世に生まれ変わる。そんな埋葬があってもいいのではないかと思うようになりました。死後も年に一度は「花」という姿でこの世に蘇るということがとても素敵に思えたからです。それ以後、荒れ地を自ら鍬と鋤で耕し、植木屋さんの手を借りて、3月までに庭園を完成させました。冬場の気候は厳しく、お参りから帰るとすぐに土地の耕しに飛んでいく。今考えると私も若かったのだと思います。今の歳だったらとてもできなかったでしょう。3月までに完成させないと木を植えることができなかったからひたすら頑張りました。「庭園」が完成した時の喜びは今でも忘れません。多分、私がこの世を去る瞬間までこの喜びは、私の心から消えることはないと思います。閑話休題 また続きは明日(^^)/